時々表紙の写真を入れ替えてますね、
勿体無いんでここに保存して、ちょっと説明なんかしてみましょう。

ちょっと写真が悪かったですね、こんなマフラーが欲しいんです。
デビッド・アルダナ、’82年シーズンのAMAスーパーバイクから、
好きなライダーの一人です、「クレイジー・アルダナ」の愛称で人気のあったライダーで、
8耐にも何度も出場してましたね、今でも現役って知ってました?

別に自慢にもならんが、リアルタイムで見てました、と、いっても「ライダーズクラブ」でね。
’80 Misano、500ccクラス、オープニングラウンドのスタートシーンです。
左から、ジョニー・チェコット(ベネズエラ、ベネモト・ヤマハ、’75、350ccチャンピオン)
ランディ・マモラ(USA、ヘロンスズキ)、ケニー・ロバーツ(USA、YAMAHA)
マルコ・ルッキネリ(イタリア、ガリーナ・スズキ、’81年、500ccチャンピオン)ですね、
この年、K・ロバーツは3度目の、そしてそれが最後になる世界タイトルを取ります。
M・ルッキネリのRGBは、このレースで初めてフロントに16インチを使いました。
カウルとF・フェンダーの辺りが間延びしてるでしょ、懐かしいですね。
M・ルッキネリもまだ現役って、知ってました?

ケル・キャラザース、’69 250cc世界チャンピオンです。
GPではケニー・ロバーツの大先輩であり、
現役時代はケニーと一緒に走ってライン取りを指導した事もあります。
引退後は、主にケニーのメカニックとしての役割を果し、
ケニー自身もかなり頼りにしていたようで、「キング・ケニー」の陰の功労者、
と、いったところでしょうか、今回はちょっとムツカシかったですね。

ムツカシかったですか?
’78、Mugello、前から、コーク・バリントン(南アフリカ、KR250、’78、250、350ccダブルチャンピオン)
グレッグ・ハンスフォード(オーストラリア、KR250)、ケニー・ロバーツ(USA、YZR250)
この年、K・ロバーツは、’69年250cc世界チャンピオン、K・キャラザース(上の人)のアドバイスで、
500と250、両クラスにダブルエントリーします。
沢山走って、ヨーロッパのコースを覚える為、だそうです。
ロバーツは250でも、ヴェネズエラGP、ダッヂTTで2勝をあげ、第5戦まではランキングトップでしたが、
500ccのチャンピオンが目前となったシーズン後半は、500cc1本に絞ります。
ただ、このお陰で、K・バリントンがチャンピオンになれた、と、言うのは間違い、
バリントン/KRのコンビは、とっても速かったのですよ。
G・ハンスフォードは、バリントンが台頭するまで、kawasakiのエース、
Z1000でAMAなんかにも出てましたね、ちなみに’80年の鈴鹿8耐の2位は、
(優勝は、ご存知ヨシムラGS1000、W・クーリー/G・クロスビーですね)
Z1000に乗る、G・ハンスフォードと若きE・ローソンのコンビでした。

片山敬済選手、’77年、350cc世界チャンピオンです。
片山選手はこの年、250ccにもエントリーしましたが、こちらはランキング4位でした。
写真のTZ350は、250のエンジンを改造し、3気筒にモディファイしたものです。
プライベーターとしてチャンプを取ったんですね、凄い!
’76年のモトクロス125ccクラスで、SUZUKIの渡辺明選手が世界チャンピオンになったのに続き、
日本人が活躍し始めた時期ですね。
この年は、根本健選手、清原明彦選手等、他の日本人選手も活躍しました。
なかでもドイツGP250ccクラスでは、清原選手が最終ラップの最終コーナーまで、
クリスチャン・サロン選手(わお!懐かしい)とデッドヒートの末、2位入賞、
レース後、「ピットサインがわからなくて、最終ラップという事を知らなかった。」と語ったそうです。
片山選手はその後、YZR500で500ccクラスにステップアップ、
NR500、NS500とホンダワークスで活躍しますが、
ちょうどケニー/フレディの全盛期と重なり、500ccでの優勝は、’82年のアンダーストーブのみ、
’83年のダッジTT(オランダ、アッセン)では、ケニーをあと一歩まで追い詰め、
百分の数秒差で2位になったレースが印象的です。
’84年にGPを引退しました。

フレディ・スペンサー、’83、世界GP500ccクラス・チャンピオン、
’85同500cc、250ccダブルチャンピオン、不世出のライダーです。
スペンサーのAMAスーパーバイク初挑戦は’78年、
父親がスペンサー・スズキを経営していた関係から、GS750で出場、
’79年のデイトナでは、レノ・レオーニのマシーンに乗り、予選ではモト・グッツィも使用しましたが、
本戦はドゥカティを選択、一時は2位を走っていましたが、24周目にミッショントラブルでリタイヤ。
しかしその速さが認められ、後半2戦はKZ1000MkUに乗って2連勝、
翌年HONDA入りします、その後の彼の活躍は皆さんご存知ですね。
それにしても早過ぎる引退でした、’83年で燃え尽きてしまった、私はそう感じています。
一方スペンサー獲得に失敗したkawasakiは、ダートトラック出身で、
ロードレースでは、TZ250しか経験の無いエディ・ローソンを、不安を抱えながらも獲得、
嬉しい誤算で、AMAではローソンの方が成功しました。
でもあれですね、もしこの時、kawasakiがスペンサーと契約していたら、
今頃Z1000Rは、「フレディ・スペンサー、レプリカ」、なんですかね?

ヤーノ・サーリネン、’45年12月生まれ、当初アイス・レーシングをしていたが、
’64年にロードレースに転向、’70年にはGPでも250ccクラスでトップクラスの実力を身につけランキング4位、
’71年には250で1勝、350で2勝、それぞれランキング4位と3位。
翌’72年には、その(当時としては)独特のライディングで250ccクラスのチャンピオンを獲得。
350でもランキング2位につけました。
そして’73年はヤマハワークス入り、250,500cc両クラスにエントリー、
イタリアGPまで、両クラス共にランキングトップ、両クラス共チャンピオン間違い無し、
と、言われていましたが、モンツァでの多重クラッシュに巻き込まれ、
イタリア人ライダー、パソリーニと共に、27年の生涯を閉じました。
あのケニー・ロバーツも参考にしたという、元祖ハング・オン、元祖フライング・フィンです。

マイク・ボールドウィン、スーパーバイクは’77年頃から活躍、
モトグッチ、ヨシムラ、kawasaki、アメリカホンダ等からエントリー、
’86〜’87年は、ラッキーストライク・ヤマハから、世界GPにもエントリーしてました。
私がこの人を知ったのは、’79年の鈴鹿8耐、ウエス・クーリーと組んで優勝しましたね。
その後、どっかのレースで転んで足に大怪我、片方の足の骨を詰めて復活、
スーパーバイクでは通算10勝、’78、’82〜’85、US・F1チャンピオン、
、D・アルダナと並んで、職人系のシブいライダーですね。
ホンダに移籍した当初は、スペンサーと全く同じデザインのヘルメット被ってたんですよ。
’55年1月15日生まれ、今でも走ってるのかな?
それにしてもこの年のKZ1000MkU、かっこいいですね、
その後のライムグリーンになったKZより、こっちの方がかっこいいと思いません?

ムツカシかったみたいですね、’78ダッヂTT(アッセン)です。
No.8:片山敬済、No.13:ミッシェル・ルジュリー、
(確かこの年、転倒したところを後続車にはねられ死亡、映画「プライド・ワン」に、そのシーンが収録されてます。)
No.1:ご存知ケニー・ロバーツ、No.11:マルコ・ルッキネリ、
No.2:スティーヴ・ベーカー、
(アメリカ人で、ケニーよりも先にGPに出てました、’77年フォーミュラ750cc世界チャンピオン。)
No.7:忘れちゃいけないバリー・シーン、懐かしいですねぇ、って私だけか・・・
スッキリ晴れ上がったアッセンのスタートシーンですが、
この後雨が降り出します。
ポールポジションはジョニー・チェコット、前半は片山がトップを快走。
ところがギヤボックスのオイルシールを破損し、チェコット、シーン、ケニーの優勝争いとなり、
優勝はケニー、3年連続のタイトルのためには、ここで絶対勝っておかなくてはならないバリー・シーンでしたが、
結局3位に終わり、チャンピオン争いはケニーが主導権を握っていくのでした。

クリスチャン・サロン、’84 250cc世界チャンピオン、
美しいリーンウィズのフォームで有名ですね、大好きなライダーの一人です。
’77年頃から世界GP500ccにエントリー、引退するまでソノート・ヤマハ一筋でした。
彼が世界チャンピオンになった、’84年の250ccクラスは、今でも語り草になるほどの激戦で、
毎戦、7〜8台のトップ争いで、1位から5位の差が1秒以内なんてことはザラでした。
’85年から、写真のように再び500ccクラスにチャレンジ、1勝をあげますが、
500ccではチャンピオンにはなれませんでした。
前を走るのはレイモン・ロッシュ、耐久レース出身で、’82年頃からGP500にエントリー、
RS500に乗り、NS500に乗ったマモラなどと互角に渡り合い、
この活躍を見込まれ、’85年からはマールボロヤマハで、E・ローソンと共に走りますが、
とうとう1勝も上げられずじまいでした。
激しい気性と切れた走りが素敵な熱いライダーです。

グレーム・クロスビー’78年、モリワキに見出され、その後SBで活躍。
当時シケインの無い鈴鹿最終コーナーで、森脇社長から、「何速で回ってる?」
と、聞かれて「4速。」「5速で回れ!」「社長!俺を殺す気か!?」と、言って、
ホントに5速で回ってしまってハンドルバー折って帰って来て、
「お前、ホンマに5速で走ったんか!」と、森脇社長が驚いたというツワモノです。
その後ヨシムラに移籍、’80年の鈴鹿8耐優勝を始め、同年のデイトナ優勝(ヨシムラGS1000)、
’81年2位(上の写真、優勝はW・クーリー)、’82年デイトナ200優勝(YZR750)、
世界GP500には’80年からフルエントリー、’80、’81はヘロン・スズキから、(このツナギがそうですね)
’82年はマールボロ・ヤマハYZR500、優勝は無いもののランキング2位に終わり、
突然引退しました、「GP生活になじめない」のが理由だそうです。
ライダーとしてのピークはまだこれから、という時で驚きました。
私の個人的意見ですが、そのまま現役を続ければ、
恐らくK・ロバーツやF・スペンサーと並ぶライダーになっていたと思います。
マシンコントロールの上手さ、という点では、ひょっとしたら彼らより上だったかも知れません。
私の記憶では、1度も大きな怪我をしなかったですから。
人生を楽しむ人なんですね、当時のGPのビデオを見ると、誰かれとなく話し掛け、
「ガッハッハ!」と、大笑い、表彰台の上でもひょうきんな人柄で周りを笑わせていました。
今は母国シュージーランドで、ツアーコンダクターのような仕事をしていて、
希望すれば、観光客と一緒にツーリング等もしてくれるとの事、行ってみたいですね。
早すぎる引退が過去最も惜しまれる選手、と思っているのは私だけでしょうか?

ワイン・ガードナー、ウェイン・ガードナーでしょうが、オーストラリア人なんでワイン、なんでしょう。
’80年、モリワキから突如デビュー、アルミフレームのモリワキモンスターで、
シケインの無い鈴鹿のコースレコードを叩き出し、世界をアッ!と言わせましたが決勝では1時間も走らず転倒リタイヤ。
その後’81年デイトナ4位、イギリスのSBで活躍、
’83年ダッジTT、GB HONDAのRS500に乗り世界GPデビュー、
オープニングラップで転倒した、前年の世界チャンプ、F・ウンチーニをはねるという事故に遭います。
民放のニュース等でもそのショッキングなシーンが放映されましたね。
本人はショックを受けて引退も考えたとの事、ウンチーニが軽症で良かったですね。
「あんな荒っぽい乗り方ではその内大怪我するぞ。」
と言われ続けましたが、大きな怪我をする事もなく、
’85年からホンダワークス入り、’87年に世界チャンピオンになります。
また、鈴鹿8耐での活躍は有名ですね、8耐と言えばガードナー、という時期もありました。
その熱く豪快な走りとは裏腹に、本人は神経質で心配性だったそうです。面白いですね。
’92年にGPを引退、現在はスープラで全日本GT選手権に出場しています。