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■武勇と教養に優れた名将「荒木村重」
○荒木村重ってどんな人? 荒木村重という戦国武将をご存じでしょうか?織田信長の家臣として有名な羽柴秀吉や明智光秀らと共に、 部将格(編成部隊の指揮をとることの出来る身分)の地位で活躍をした名将です。 ![]() 村重は信長に戦功を認められ、軍略上、要ともいえる「摂津国」の支配を任されます。彼は本拠地に 海陸共に目を光らせる事の出来る伊丹(兵庫県伊丹市)を選び、有岡城(右写真:有岡城跡)を居城と したのでした。 ○強かったの? 戦国武将と聞けば、やはり気になるのは武力。果して、村重は強かったのでしょうか? 「応仁の乱」をはじめ、室町〜戦国期の畿内(近畿地方)はあまりに戦が多く、力のある大名はなか なか育ちませんでした。戦ばかりでお金もあまりなかったことでしょう。 その様な中、以前より高利貸しもやっていた池田氏(現在の池田市周辺で活躍した一族)は経済力も あり、着々と土台を固めていました。幸いにも当時、村重は池田氏のもとに仕えていました。ところ が、池田家当主が入れ替わるにつれ、その力の限界をしった村重は、いよいよ表舞台に飛び出すこと になります。足利義昭の寵臣和田惟政(当時の高槻城主)を討ち取り、茨木城を支配する等、瞬く間 に近隣に村重の名を知らしめることになります。 信長に仕えてからも、主だった合戦には参戦し功績をあげます。信長の作戦に口を出し、作戦を変更 させて見事な勝利を収めた事もあったり・・他の武将には真似の出来ない、真の強さを備えた武将でした。 ○知性と教養もあるんです・・ 千利休という茶の湯の名匠は皆さん、よくご存じだと思います。利休には「高弟利休七哲」と称する 優れた弟子が7名いました。古文書により若干そのメンバーは異なりますが、何と村重の名もあるの です。他には、古田織部や織田有楽斉などが挙げられます。 その他、能楽や歌にも関心があり、キリスト教については自らはキリシタンにはなりませんでしたが 深く理解を示しています。 ○何故、有名じゃないの? 古文書に武勇伝が数多く残っているのに、何故他の部将程有名ではないのでしょう?これには大きな 理由があります。 実は、信長が毛利・本願寺軍と衝突した際、村重は突如毛利側へと寝返ってしまうのです。当時、中 国地方征伐の総指揮を努めていた羽柴秀吉は、摂津一国の寝返りにより織田本軍との連絡路を絶たれ まさに孤立状態。まして、軍事上決して手放せない摂津国が寝返るとは・・信長の怒りは頂点に達します。 村重は籠城を決行しますが、味方の降伏などにより単身脱走。妻子をはじめ城内に残された者は悉く 処刑されることになったのです。この汚名が後世語り継がれることになり、村重の人物像を否定的に 捉えられる結果となったのです。特に戦前では、謀反や寝返りは「悪」とされ、信長の立場からしか 物事が捉えられない一元的な発想の教育がなされ、現在に至っています。 ■詳細な内容 1.戦国期の荒木家の位置付け 2.伝説から生まれた村重 3.池田家と村重の活躍 4.信長の上洛と畿内動向 5.池田家の転機と村重(1)〜六条合戦 6.池田家の転機と村重(2)〜白井河原合戦 7.信長統治下における村重 8.中国征伐と村重の謀叛 9.謀叛を取り巻く人々【高山飛騨守・右近】 10. 謀叛を取り巻く人々【黒田孝高】 11. 謀叛を取り巻く人々【明智光秀】 12. 落城の惨事 ■参考文献 |
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