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富永仲基(TOMINAGA, Nakamoto1715〜1746)WEBPAGE
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*写真は「謙齋先生追遠記念絵はがき」(昭和12(1937)年10月)から
仲基の筆跡「右軍(王羲之)蘭亭記」
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NEWS 東京上野の東京国立博物館法隆寺宝物館の2007年2月25日に終わった展示を見てきました。
2008/12/23〜2009/2/22(第4室)にも富永仲基が法隆寺で調査した「尺八」が 展示されていました。しかし2010年は展示されていないようです。
日本思想史上に輝く富永仲基の主著の一つ
「考証学の上に立って道を説いた」(石濱純太郎)
仲基思想の真髄がここに明らかに 『富永仲基の「楽律考」 儒教と音楽について』 が出版されました!2006.10.10
*坂口博樹さんから「万宝常84調」のご質問、ご指摘をいただきました。(2008年10月)
*日本経済新聞2007年1月18日文化面に 「江戸の思想家 響く音楽論」として記事が掲載されました。
*雑誌『レコード芸術』2006年12月号、片山杜秀さん「この本を読め!」で 「儒教二千五百年の見果てぬ夢」として紹介されました。
富永仲基(号は謙齋)は日本の江戸時代の中頃の大阪(当時はふつう大坂と書きました)の人です。その父、道明寺屋富永芳春は、町人の学校懐徳堂を設立した「五同志」の一人で、道明寺屋は醤油醸造を営み、漬物でも名高い大坂船場の大商人でした。
父親の死後、道明寺屋は先妻の子の長男が継ぎ、仲基は後妻であった母とともに別に居を構えます。それまでに、京都に行っていたことがあり、また池田の酒造家鍵屋へ養子に出た弟の荒木定堅(号は蘭皐)とともに、池田に隠棲していた儒者田中桐江の呉江社という詩社に参加しました。また、二十歳頃までには、儒教の成立と発展について『説蔽』を書き(未発見)、仏教の成立発展について『出定後語』を完成していたと考えられ、さらに、度量衡の歴史的変化をあとづけた『三器』(未発見)、音楽の音律の歴史的変化と音楽の本質について考察した『律略』(のち『楽律考』)を書きました。
一方で、病気に悩まされ、病状が一進一退を繰り返していたことも本人の詩や記述からわかります。ついに最初の一般の人向けの書物として、人の生きるべき「誠の道」について述べた『翁の文』を出版し、『出定後語』も死の直前に出版されました。弟の定堅はそのころ仲基が「歴史」を書く志を懐いていたと報告しています。仲基の名声は、数え年三二歳の死によっていったんは忘れられ、富永家の菩提寺西照寺の墓域に仲基の墓石がない理由もわかっていません。
このWEBページは、多くの方が富永仲基について知り考えるきっかけになり、富永仲基研究が進むようにと願って作成され、今後順次整備される予定です。
*富永仲基WEBPAGE編集委員会
・年譜 (制作中)
・著作 (制作中)
誠の道 『翁の文』
文献学の基本 『出定後語』
加上 三物五類
度量衡の変遷 (『三器』)
音楽と音律 『律略』(『楽律考』)
儒教、仏教、神道 『説蔽』『出定後語』
儒教 仏教 神道
歴史(司馬遷、荻生徂徠、日初寂顕) 「論語徴駁説」「鶏肋集叙」
天竺、漢、高麗と本朝
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