川村「ちこんき」輝夫の

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「ウエスタン・ラムブラーズ メモリアル・ライブ」
    
やっと行ってきました。小田原のテディ・原のところ。
   時間を無理矢理作って、教会もサボって・・・。
 「行って良かった」75歳というのに、元気元気。

もう一人の生き残りフィドルの朝比奈鉦次
(あさひな しょうじ)も75歳ですが、
この人は心筋梗塞で手術しているのに、
タバコは吸うわ、 ビールを飲むわ、
ムチャ苦茶やけどフィドルを弾く時は、
ほとんど表情を 変えず冷静そのもの、
ビル・モンローとブルーグラス・ボーイズの
ケニー・ベーカーや
ブルーグラス45のリョウガクセイ(漢字わからへん)
などフィドラーに見える独特の沈着さ?

いろんなカントリー関係者が来ていたけど、
友情出演した福生に拠点を持つ
正統派カントリーシンガーの徳永喜昭は、
きっちりと語尾など発音していたので、
終わってからその事を言うと
「そんなことを聞いてくれている人がいるのは、
嬉しいし、まして褒めて貰ったのは初めてです」
と喜んでくれました。

さて、時は、2007年10月28日(日)午後2時〜6時
場所は、小田原市本町 JR小田原駅前 スカイラークビル 3F
カフェレストラン「ホワイトプレーン」
いよいよ
ウエスタン・ラムブラーズ・メモリアル・ライブが、
始まりました。

このライブは、当初2006年夏に計画されてから、
台風やテディ原の病気などにより、
なんと3回も延期に延期され、
今回も台風接近の為に、
当初の2007年7月から10月に変更になった
いわくつきのライブになったのです。
           
私も初め(2006年)ライブに出かけるべく
妻の昌子と2人分新幹線の切符を買い
楽しみにしていましたが、
キャンセルになり、その年の秋に延期され、
それが、またまたダメになり、
今年(2007年)にやっと実現したのであります。

そもそも日本最初のカントリーバンド、
ウエスタン・ラムブラーズの生き残りである
テディ・原との出会いが、 面白いのです。
            
2005年1月号の「ムーンシャイナー」
(ブルーグラス専門誌)に載った記事、
「戦後間もなく結成された日本カントリーのパイオニア・バンド、
ウエスタン・ラムブラーズのテディ原さん(在小田原)が、
同バンドのアコーディオン奏者、
小林義弘さんの持ち楽器を
引き取ってくださる方を探しています。
小林夫人から、「歴史的にも価値あるアコーディオンを、
できればカントリー関係の方に引き継いでいただければ
とのこと」を見て私・川村輝夫が手を挙げたのでした。

そして、日本全国から10数人の応募者の中から、
最終的に私が選ばれ、
小田原にテディ・原を訪ね、
楽器を引き取ったと言う訳です。
そして、テディ・原に会い、
いろいろ小林義弘さんのことや、
ウエスタン・ラムブラーズのことなど伺ったのです。
                         
アコーディオンは、が池田中学の頃、
ハーモニカクラブに入り「オーマイパパ」や
「高原列車は行くよ」「ドナウ川の漣」
「カルメンシルバ・ワルツ」 などなどを演奏していた時、
アコーディオンを巧みに弾く上級生がいて、
それに憧れ、無理を言って買ってもらった
ヤマハの12ベースが、 きっかけでした。

文化祭で「黒い瞳」や「ラ・スパニョラ」を
アコーディオン・ソロで 演奏したこともあったのですが、
全てのキイでコードが対応できる120ベースの
大型アコが欲しかったのです。
それはとても高価で手が届かず
複雑な曲を弾くことができないので
次第にアコから遠ざかっていったのです。

それが、数年前にカナダのバンクーバーの質屋で
中古の中型120ベースのアコを買ったのですが、
小林義弘の楽器は名器と言われる
イタリアのエキセルシャーの特注品です。
              
長年ブルーグラスを追いかけ、
カントリーやブルーグラスのラジオ番組を
担当していた私にも
その名器を引き継ぐ資格があると思い、
応募したのです。

さて、名古屋のライブハウス=アルマジロのハウスバンド
「カントリー・ナイツ」の 演奏が始まりました。
メンバーは、杉山輝芳(Vo.G)土居豊彦(Vo.G)
田口 廣(St,Dob)清川武志(Bs)
一之瀬 功(サミー平野とドランカーズのメンバーSt.)
田村洋子(Vo)そしてこのバンドのフィドルが、
ウエスタン・ラムブラーズのもう一人の生き残り
朝比奈鉦次(あさひな しょうじ)。

この75歳のフィドルが素晴らしい。
ほとんどダブル・ストップで弾く。
そして、ご本人が解説しているように
このダブルの下の音程が安定しない ところが、
カントリー・フレイバーと仰います。

私は、アコーディオンもフィドルも何も
持っていかなかったのですが、
第3ステージの曲目の中に
「Faded Love」があるのを見つけたので、
朝比奈さんに 「もし、宜しければ私もちょっとだけ弾くので、
加えて頂けないでしょうか?」
と頼んでみたのです。

「そういうこともあろうかと、
もう一丁持って来てるんだよ!」 と
フィドルをケースから出して、貸して下さいました。
    
そして、ツイン・フィドルで「Faded Love」の演奏に
加わったのです。私は興奮していたので
上手く合っていたのかどうか分かりませんでしたが、
演奏の後、朝比奈さんから
「やはり、フィドルが二丁だと音に広がりが出て良いね・・・」
と声をかけて貰ったので、ちょっぴり安心しました。
         
テディ原は、スリー・ハンクを中心に、
いわゆるクラシック・カントリーのナンバーを、
次々歌われました。
テディ・原の歌は、よく歌いこまれたヴォーカルで、
ちょっとしんどい高音も上手くフェイクして、
非常に滑らか、
流石にティーブ・釜萢の弟子だけの事はあります。

第3ステージが終わって、
あとは希望者を募っての第4ステージ。
ここで、準備をしてきた「Baya con Dios」を、
  
昌子とのデュエットで 歌いました。
数日前から何度か練習してきたので、
上手くいったと思いました。

歌い終わって、リード(メロディー)の昌子の歌を、
「あれはコーラスの声だね・・上手だ・・・
よく声が出ている・・・」と褒められました。
また、第4ステージが終わったあとに、
私達の席へお客さんが来て、
「今日の中で一番良かった!感動しました。」
とわざわざ握手をしに来た人もいて、  
「そんなに良かったのかなあ?
 ウソでも嬉しいです」と答えました。

前日の、ミーティングから
本番当日の仕込みなど
全てに渡って目を光らせ、
準備をされたテディ原の働きは
とても75歳とは思えないものでした。

朝比奈鉦次は、ある時はイントロ、
或いは中メロ、またエディングに効果的に
フィドルを弾き、
ヴォーカルのメロ直前の導入フレーズを
終始表情を表に出さずに弾く。
まっことカッコ良い。
なんでも直ぐに影響される私が、
大阪に帰ってからアコとフィドルを弾く
時間が増えたのは、嬉しい事。

なお客席には、
ウエスタン・ラムブラーズのリーダーだった
”ハッツァン”こと外山寛(あの指揮者の外山雄三の次兄)
の、ご子息健一さんと孫娘の直子さんが招かれていました。

また、ウエスタン・ラムブラーズについては、
テディ原のホームページに 詳しい。

2007年11月8日  川村輝夫 記


2008年3月8日〜3月13日
関学グリーOB369会マレイシア演奏旅行
報告

それは、奇跡と言っても過言ではない出来事でした。
47年間ブランクだったメンバーが、たった2時間の練習で
昔のハーモニーを出せたのです。

2008年3月9日(日)マレイシアの首都クアラルンプール(KL)
日本人会会館第一ホールでのジョイント・コンサート(男声合唱)は、
午後4時30分開演。
出演は、関西学院グリークラブOB合唱団(369会)
KLグリークラブ 賛助出演は、かとれあコーラス(女声合唱)。

このコンサートへ参加のため、卒業以来全く合唱から
47年間離れていた人もあって、東京で1回、
大阪で2回の練習をやりましたが、
いずれも全員が参加できず、不充分な練習で、
「こんなことで、期待に応える演奏ができるだろうか?」と
不安な気持ちで、参加したのがメンバー全員の気持ちでした。

そして、KL行きの飛行機の中で楽譜を広げる人もあって、
意気込みだけは見るものがあったようでした。
いよいよ本番7時間前、練習場に到着したメンバーは、
9時30分に練習を開始。
最初は、川村輝夫指揮による
「Old Kwansei」から、「野ばらの花」「赤とんぼ」
「遥かな友に」「閨窓夜曲」「故郷」など
このあたりの曲は、 ほとんど問題なく、

「婆やのお家」「月夜を歩く」
「竹田の子守歌」では、KLに来て8年の
亀井清一郎の指揮に変わり、最初は、
指揮に付いて行くのもやっとでしたが、
亀井が皆が歌えていない所を指摘をして
何度かやり直していくたびに
どんどん良くなって、見違えるような合唱に
なって行きました。

そして、「お母さんおぼえていますか」では、この
曲を歌うためにレッスンを重ねてきた山中 敏が、
情感を込めたソロを披露し、思わず聞きほれて
バックコーラスを乱したりしていたメンバーも
練習を重ねるうちにしっかりとソロを支えることに
成功し、「最上川舟歌」も指摘されたポイントを
歌えるようになって、11時30分に練習を
終わりました。

午後4時30分開演で、
ジョイントコンサートが始まりました。
司会は、和服の川村昌子
最初のステージは、KLグリークラブの
「バーバーショップハーモニー集」
この演奏は、張り切りすぎて、ハモルところを探すのに
苦労するようなものでしたが、メンバーの三分の二が
歌うことは勿論、合唱の経験がなかったことを考えれば
指揮の亀井清一郎の指導により、
高いレベルになってきていることがわかります。

次に、369会の出演で「懐かしの愛唱曲」。
川村輝夫の指揮で、「Old Kwansei」「野ばらの花」
「赤とんぼ」(ソロ:山中 敏)「遥かな友に」
亀井清一郎指揮で、
「婆やのお家」「月夜を歩く」演奏が進行するたびに
47年前に数々のステージで、
また合宿で歌ったハモル勘が戻ってくるのが判ります。
指揮をする方もその当時の顔々が目の前にあり、
一瞬にして学生時代にタイムスリップしたような
感覚があったそうです。

「月夜を歩く」の最後の聞かせどころでは、
素晴らしいハーモニーが鳴り響き、歌っている方も
聞いている聴衆もその美しさに酔いました。

休憩を挟んでのステージは、
 賛助出演のかとれあコーラスの皆さんです。
太田貴久の指揮、宇田川美紀、鈴木ともこのピアノ伴奏で
「世界の歌」から「ビリーブ」「雨」(水のいのちより)
「夜来香」 「ララルー」「落葉松」
きれいな声で、美しく聞かせてくれました。

最後のステージは、369会とKLグリークラブの合同演奏です。
先ず川村輝夫の指揮で、
「閨窓夜曲」「故郷」(ソロ:山本修三) の2曲。

亀井清一郎指揮で「竹田の子守歌」、
「お母さんおぼえていますか」では山中 敏の切々と
情感を込めた素晴らしいソロに、静まり返った聴衆は
もとより、歌っているメンバーの中にも涙する姿が見受けられ、
この曲が終わった時には、万雷の拍手が沸き起こりました。
そして、最後の「最上川舟歌」では、62名の力強く迫力に
満ちた男声合唱が響き渡りました。
花束贈呈の後、アンコールの「U Boj !」を演奏。
「遥かなる友に」を聴衆と共に歌い、
ジョイント・コンサートは 終了しました。

そして、会場を出たロビーで、
「God be with you till we meet again」を
歌い、来場者に感謝しました。

その後、同じKL日本人会館の屋上で、
打ち上げバーベキュー・パーティーがあり、
KLグリー、かとれあコーラスのメンバーとともに、
飲んで歌って、交歓しましたが、
KLグリーは、ギター3本の伴奏で先程のステージとは
大違いで
素晴らしくリラックスした演奏

、「花はどこへいったの」
「七つの水仙」「遥かなるアラモ」などのブラザース・フォー・ナンバーを
聞かせ、369会は、KLの諸江 修団長のリクエストに応えて
「A song for Kwansei」を歌いました。
そして、諸江団長の出身大学である、同志社大学カレッジソングも
歌い、続いて「早稲田大学校歌」「慶応義塾大学校歌」も楽譜なしで
歌ったので、KLグリーのメンバーが驚いていました。
やがてお別れの時が来たので、全員で「遥かな友に」と
「God be with you」を歌って打ち上げはお開きになりました。

尚、参加者30名の名簿をここに記します。
トップテナー  セカンドテナー  バリトン     ベース
塩崎武夫    高田俊明    越智通憲    於勢昌樹
山中敏      藤岡弘信    杉本正和    福本喬
  猪原真作    寺澤次郎    広森美智一   山口修三
北村正一    小泉慶次郎   山本修三    岡昌三
川田公一    横山康雄    本谷紀吉     北川親
  西哲夫      野口茂      5名       川村輝夫
   細井修二    安田晋二              亀井清一郎
二宮英喜    塚野隆一                7名

8名    内山富士雄               
山崎 巌          
10名        
以上  2008年3月20日記す